ラベル Thoughts の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Thoughts の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年5月5日水曜日

De-growth:プロダクトとしてのGDP

更新あいてしまいました、、

報告ですが、帰国日は6/5になりました。社会人も学生も忙しい時期だとは思いますが、みなさん飲みましょうー。




さて、今日はエントリー
「経済成長なしの世界」で書いた内容についてのアップデート。




まずは、この”成長を超えた生き方”というビデオを紹介。

Life After Growth - Economics for Everyone from enmedia productions on Vimeo.




登場するのは、環境活動家かつ哲学者のVandana Shivaや、ここのエネルギー資源グループの教授Richard Nogaard、や生態系の活動家Debal Deb(彼も、前学期住んでいたI-Houseに住んでいました。)


内容は、現実:世界全体で経済というパイの成長が続く中で、先進国と途上国がそのパイを奪い合う、を踏まえたうえで、その現実にどのように挑戦できるか、というきわめて前向きな内容。

方向性としては、


  ・世界経済のパイが一定のもと、先進国側が途上国に譲り、分配の割合を変える
  ・De-growth(逆成長)によりパイ全体をヘらし、そのうえで分配の比率を変える


の2つがある。また切り口としては、測り方の問題、ここではGDPに代わりうるものさしが紹介される。例えば、知ってる人も多いであろう、ブータンのGNH(Gross National Happiness)や、カナダのWell-being、後者でカナダを図ると、GDP基準のそれの遙か上をいくようだ。この尺度の側面からアプローチするのは現実的かつうまいやり方だと思う。一見、「なかみを変えずに尺度を変えても、何も変わらない」と思えるが、経済学者スティグリッツの言葉をかりると、


  
"Information about how we describe happiness affects what we strive for, and so if GDP is what we think as happiness we strive for it."

(人が目指すものは幸福の定義に左右される。GDPで幸福を定義しているから、みなGDPを目指しているだけだ。)



そもそも、開発経済の歴史をたどると、GDPは、差異こそあれ成長をめざす点でGNPと同じであり、そのGNPはWWⅡ中、ドイツに対峙していたアメリカで、戦力として自国の富の生産能力かを経済学者クズネッツが測ろうとしてつくられたもの。つまり、
GDPは70年も昔につくられた古いプロダクトであるということ。壊れかけた温度計を使っているようなもので、新らしい製品が必要だ。GDPに代わるには厳密性や単純性などクリアすべきハードルは多いのは事実だが。もっとも、ステグリッツ自身は、GDPの欠陥について、サステナビリティーや格差問題を捉えていない点を問題視するにとどめ、”成長”自体を問い直そうとはしていない。


しかし、以前、エントリー:フランスの超学歴社会でとりあげた、仏の典型的なエリートシステムに載っていないサルコジ*が、スティグリッツやハーバードのアマルティア・センを集め、2008年にThe Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progressという委員会を設置し、幸福やサステナビリティーの尺度としてのGDPの妥当性を検証・提言するとのこと。いまのところ見張った成果はでていないようだが、こういうイニシアチブはもっとされるべきだし、期待は高い。




最後に、経済成長について、”成長”がいいことなのか捉え直すことは、一見ネガティブな印象を与えるかもしれない。例えば、産業革命以前のような、マクロな生態系レベルでみてバランスが保たれていた時代に完全に戻ることは不可能にみえる。その意味で、ビデオにでてきたような森林での自足時給の生活は解決策にはなりえない。
(バークレーの影響でヒッピーを目指しはじめたわけでもないので、あしからず(笑))


しかし、世界すべての国が先進国並の水準になることは不可能にみえるし、また、過去10年でインターネットが世界を変えたように、既存よりベターなもの、GDPよりよい尺度をつくるのは十分に可能だ。次の10年で何でも変えられる。



*ビデオではサルコジが幸福に着目する理由は、カーラ・ブルーニとの私生活が幸せだから、と揶揄されている。


■参考

The Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress
Richard Nogaard

2010年4月27日火曜日

Disciplineとしての学問

唐突ですが、最近自分の思考方法の変化によくも悪くも気づくので、メモります。



経済学では、個人は理性的に行動する、や、個人は効用を最大化する、などの仮定をおいている。
実際には、その過度に単純化した仮定にそぐわない行動ばかり。例えば、タバコをやめたいが禁煙はことごとく失敗、などの消費者行動。
ここらへんの矛盾にいま行動経済学が答えようとしている。つまり、行動経済学は経済学の”可能性”を追求している。


ここまでは、一つの学問の”内容”について。Disciplineとして経済学を捉えなおすと、
観察・分析・理論化の繰り返し。競争政策などに携わり、観察・分析後に主体的な実践ができるなら話は少し異なるが、思考方法としては、可能性を追求するのではなく、一歩引いて原因をさぐる、といった感じのDisciplineだと思う。


一方で、”経済学は共通言語”といわれるように、学問をツールとして使うのであれば言語と同じで、自由に複数のDisciplineを扱えるはず。例えば、母国語+外国語のように。


その意味で、自分がどこまでそのDisciplineが必要かを見極めて行動したい。
あとは、Disciplineの習得過程が楽しいことが大事だ。もちろんすべき苦労はいくらでもする。
それでも、それを含めて楽しまないと損だと思う。

2010年4月25日日曜日

ビル・ゲイツと貧困・教育 〜NPO業界に必要なこと〜




さて、先日ここにきたのは、ビル・ゲイツ。「カレッジ・ツアー」と題した講演ツアーをここでキックオフ。大学からの人材流入が圧倒的に不足している社会問題:グローバルヘルス、教育、の問題点と展望を語った。その後は、東海岸は、MIT・ハーバードに向かったよう。


抽選にはずれたので、自分は大学のサイトでみましたが(笑)
先日かいたYoutubeにも早速アップされたようなので、ぜひみてみてください。




概要としては、世界の公衆衛生と教育について、ポリオなどワクチンが劇的な効果をあげたこと、”Teach for America(TfA)”というアメリカの大学生が途上国で先生という実地経験をつみながら修士がとれる人気プログラムの話、をそれぞれひきあいに、投資銀行など金融業やエンターティメント業界に優秀な人材が流れすぎていると訴えていた。

この、公衆衛生と教育分野における人材の需給不均衡という問題に対し、抜本的な解決策の提案がなされていないのは残念だった。自身の公衆衛生にフォーカスするビル・メリンダ財団ではポジションの数は十分ある、一方でTfAのポジションを増やすことは、プログラムの背景上難しいと言及。


一番よいポイントだったのは、公衆衛生、教育双方に通じる課題である、非営利業界の人材の質と流動性についての指摘。
特に、アメリカではブームもさり定着した感がある社会事業について、モデリングの難しさ、具体的には、

  ・(ダブルないしトリプルボトムラインだけに)成功と失敗を定義しにくい
  ・(ゆえに)各組織のリーダーの評価がしにくい
  ・(その結果)人材のターンオーバーが活発でない

という点を指摘、改善のために客観的、統計的な評価基準の必要性を指摘した。


これは当たり前のようだが、かなり重要な点だと思う。なぜなら、構造的に民間と異なり株主が存在しないので、極端に言えば、NPO業界には、リーダーや組織への自動的なチェック機能が働かず、人為的に作る必要があるからだ。さらに、日本のコンテキストにおとせば、いくつか成功例(マザーハウス、かものはし、フローレンス、HRW、手前味噌ですがLIP、など)が出てきているものの、構造的なNPOセクターへの評価体制はアメリカよりさらに確立していない。

ここでのNPOセクターへの評価体制というのは、まずは官民学でもどこからでもよいのだが、日本では学からは比較的存在してるように思うので、民の例をとる。例えば、アメリカに存在するBridgespanというベイン・アンド・カンパニーからスピンアウトした、NPOをクライアントとする戦略コンサルティング会社。こういった存在は、NPOという組織のベストプラクティスをみいだし、NPOマネジメントの体系化を加速させる。日本でも、ベインの方々が若手を中心にこのNPOコンサルティングを近年始められたり、大学の先輩でもある入住さんがNPOのマネジメント支援の活動をされているが、米に比べてしまうととりあえず数が追いついていない、という状況だ。



帰国次第、LIPの皆さんをはじめ、様々なかたとあって日本の現状にキャッチアップすることからはじめたい。

---

-Bill & Melinda Gates Foundation
http://www.gatesfoundation.org/Pages/home.aspx

-Teach for America
http://www.teachforamerica.org/

-Bridgespan
http://www.bridgespan.org/

2010年4月23日金曜日

こっちの学生の実態とか

残すところ22日。


今日はDigital Marketの授業があったのだが、最近は法律の側面によることが多いので、知識不足で、あまり発言することができない。そもそも、経済ネタでもPhDの人が周りなので、自分の能力不足で発言のチャンスが少ないが。

この授業からの学びは多いが、一つは、”エコノミスト”がどう経済学のアイディアを使って、ものごとを分析するか。3人こっちのエコノミストを捕まえて議論させたら、これは、本当に今までみたことがなかったくらいのスピードで分析が行われる。競争政策だから、ってのもあるだろうが。はじめは圧倒された。前学期はディスカッション時の英語で苦しんだが、今学期は自分の頭の回転の遅さを痛感させられた。

スピードだけでなく、何分かごとに、使われるツールもコロコロ変わる。公共経済の社会便益分析、ゲーム理論のナッシュ均衡、ミクロの独占・寡占、これを瞬時に頭ん中で使えるツールにする、やっぱPhDの始めの文字通り”死にものぐるいの”2年をくぐりぬけてこそ身につくものだろう。さて、ゲーム理論を復習しないと。



あと、補足というか、こういうふうに日米の大学比較ばかり書いてると、こっちの大学を神話化してるように捉えられてしまうのが怖いので、一応補足をw

問題がある、とよくいうのは、教育”システム”であって、責任はもちろん自分を含めた学生自身にあるが、学生に問題のすべてが起因するといってるわけではない。その点では、良くテレビにでる偉い人や大学教授が、日本の大学生は勉強しない、と学生自身に責任を求めることがあるが、環境に起因することが大きいと思う。


学生個人個人でみると、やっぱそこはあまりかわらず、授業中Facebookでチャットしてる人はざらだし、イタリア人の客員教授だってディスカッション中少ししてた。



さて、そんなこんなで今週末は課題三昧の予感。


では。

2010年4月22日木曜日

なぜ米大学がネットでの授業公開に積極的か



日本でも、Youtubeで京大が公開をスタート、というニュースを以前みたが、こちらでは、スタンフォード、ここ、東海岸でMIT、イエール、ハーバードなど、それぞれ提供する見れる授業の種類・量ともに、圧倒的に多い。

そのコンテンツの充実に対応し、特にシリコンバレーに近い大学の閲覧ヒット数は高く、以下になっている。


スタンフォード 約10,000,000
バークレー   約 5,500,000
ハーバード   約 1,000,000
京大      約 500,000




なぜ、そこまで積極的なのだろうか。まず、単純に効率の良い宣伝手段になる、というのがあるだろう。特に国際学生の比率が高い海外の大学は、世界中の各国のベスト・ブレインをひっぱてこようとやっきだ。なぜなら、彼・彼女らは将来の大学の研究実績(=大学のボトムライン)を最大化してくれる。

この、全世界にマーケティングをかける、というのは、消費財や工業製品と異なり、商品の性格上、効果的なチャネルが事実上限定されているように思える。洗剤なら、CMを多言でつくり、流すだけだが、教育はそうはいかない。もちろん、MBAなどターゲットが絞りやすいものは、特定層の購買する雑誌など、効果的なチャネルも多い。

もうひとつの戦略は、学校自身自ら、脳みそを現地にとりにいく、というもの。例えば、B-Schoolでヨーロッパが拠点のINSEADは、シンガポールにアジア校、アブダビに中東校をもっている。(http://www.insead.edu/discover_insead/who_we_are/index.cfm

しかし、後者の戦略は、大学の性格によりけりだ。INSEADがExecutive MBAなどにも定評が高いことからもわかるように、研究中心でなくて、教育の提供がメインであれば、分校をどんどん増やせるが、アメリカの総合大学のように、複数分野間でのスピルオーバーが期待できる学校は、分校をたくさん作り、有形・無形の資産を分散させるのは得策ではない。(逆に、学費収入の安定化という目でみれば、地理的な分校の分散は、学費収入のポートフォリオのリスク分散になる)



こう考えると、Youtubeでの授業無料公開はよいマーケティング手段だ、といえる。もちろん、見た人がそれのみを理由に直接入学する可能性というのは低いだろうが、情報源の一つとして有効活用する可能性は非常に高い。実際、自分は、在学生以外にも、来る前にここのチャンネルにお世話になった。授業内容、というよりかは、授業やキャンパスの雰囲気などをみれたことはここにこようと決めることに繋がったと思うし、モチベーション維持にも役に立った。



違う側面からみてみよう。
日本の大学はようやく、といった感じだが、その理由の一つに、大学が授業公開をすすんでしにくい状況があると思う。

学校予算に占める学費収入の割合をみるとわかりやすい。先日、大損をしてしまったが、資産運用に積極的な早稲田で50%強、病院収入がある慶応で30%、それに対し海外の大学は、ハーバード20%、スタンフォード10%と、授業料依存度が低い。この数字からすれば、対価を学生に支払わせているそのコンテンツを無料でネット公開するのに躊躇しても仕方がない。実際の潜在的な入学志願者の行動がWeb公開で簡単にかわるとは思わないが、大学側は躊躇する可能性はある。

この日本の大学経営の授業料依存の問題は、大学の国際化、という文脈での非常に重要なファクターなのだが、その先はまた別の機会に。

もうひとつは、もはやお決まりの理由だ。国際化が進んでなく、英語での授業がなされない限り、Youtubeで公開しても、その宣伝効果は国内市場にとどまり、単純に潜在的な大学進学者の年齢層を考えて最大で500万人くらいしかリーチできないように思う。


やはり、何をするにも、根っこから変えていかないといけないようだ。



では、おやすみなさい。



2010年4月21日水曜日

Urban Forestと里山

残り24日。台湾のCindyよりインプットがあったので、それについて。(写真はすべて、”Urban Forest by MAD”, December 10th, 2009, Dezeen Magazineより)



これは、中国のChongqingに建設予定の”Urban Forest(重庆森林)”というビルのイメージ。見た途端、このマルチレイヤーの空中庭園にははやく一人前になって住んでみたいと思った。









壁がすべてガラスで透明なことで、都市内部の高い場所にありながら、緑をメトロポリスの迫力ある姿とともに景観として味わえるようになっている。







非常に面白い、かつ意義がある、と思ったのは、よくみると、屋外・屋内ともに、3フロアくらいで緑を共有できる、という点。景観的にも用途的にも住人同士シェアする、というのは、Commons(共有資源)として機能しコミュニティの構築・持続を促す点で大事な要素。






最後に、こういった緑と都市建築の融合を図るこころみに対し、なされる反論に、「このような緑は人工的で、人に擬似的な満足しか与えることができず、自然とはいえない。」といったものがあるが、


■よく考えてみれば、現代人の効用は自然からえているわけではない。
例えば、バークレーにきてつくづく思うのだが、東京に20年もすんでしまうと、騒音があろうが、振動がすごかろうが、(一定レベルを超えない限り)あのカオスな景観自体が落ち着く。

つまり、現代人の効用関数は、x (x: 自然の量) のみが 変数でなく、y (y: ぱっと外をみまわしたときに目に入る建物の数) やz(z: 周囲のノイズ) など、様々な変数が加わっている。さらに、人によって変数へのウェイトが異なる。仮定をいろいろおくが、xのウェイトが極端に高い人は、頻繁に山や海に旅行にいくはずだ。もちろんそのウェイトは経年変化するし、自分はこっちにきてから、xのウェイトが高くなった。日本帰ったら、10年以上ぶりに富士山のぼりにいきます。


■2つめ、それは”自然”という概念について。
この言葉をきくと、”里山*”と、黒川紀章の提案した”共生”というアイディアが思い浮かぶ。
”里山”は、まさに上でちらっとでたCommonsの代表例。山の麓の住人が、山を”人工的に”手入れして共有資源としての価値を最大化するもの。実際、日本の森林は、

  ・江戸以前:過剰利用
  ・江戸時代:政府の規制・監督による適切な持続的な木材利用など、Commonsとしてベストな状態
  ・江戸以降:放置により木材資源としての利用価値低下

といわれる。つまり人間にとっての自然というのは、一定レベルの介入が必要である。その意味では、自然とこのUrban Forestの違いは、自然と人間のバランスが逆転しただけといえる。


こんなことを思いながら、バークレーという街のリズムをまだまだ感じてたいと思いながらも、東京のリズムをはやく感じたいなーと思ったのでした。今年の夏は六本木に住めるので楽しみ。






さて、まだいろいろ書きたいのですが、明日は山場なのでここまでで。あと最近建築系のインプット全然はいってないな・・・


では




−−−

里山*・・・日本は資源欠乏のおかげでこのCommonsの利用というのが世界的に見てもうまい。昨年のノーベル経済学賞の一人、Elinor Ostromは、世界中のCommon Property Managementを研究したのですが、そのなかの一つの例が、日本の漁業民の漁場経営だったりします。


<参照>
”Urban Forest by MAD”, December 10th, 2009, Dezeen Magazine, http://www.dezeen.com/2009/12/10/urban-forest-by-mad/

2010年4月20日火曜日

経済成長なしの世界

残り25日。新しい一週間が始まる。今学期は、開発経済の授業はないので、自分でペーパーや記事にふれるようにしているが、1つ、以前から頭にひっかかっているテーマがある。開発経済を学ぶ友人ともよく議論する話。まだ掘り下げられていないのだが、早くシェアして、いろんな人とこの話題を話してみたいと思ったので、書いてみます。



■経済成長なしの世界

不況の日本では、GDP成長率◯%、前年比◯%減と数字がメディアに飛び交うが、回復したあと、10年後、20年後、50年後、どうなるのか、と思ったことはないでしょうか?

限られた天然資源、人口増加、国家間の格差・・・これらの問題をふまえ、”持続的な成長”をめざそうという考え方がある。これはまだ成長自体は放棄していない。放棄しない主張はよく、極端だが、昔にもどり文明社会を完全にすてることは不可能、という論調になることがおおい。

けれども、逆に、このまま未来に永遠に経済成長し続けることも不可能ともいえる。では、経済成長がないと、僕らの世界はどうなるのだろうか。



これは授業やテストが終わり次第、詰めたいと思ってるのですが、感覚的にみんなどう受けとめるのか凄く知りたいです。


では。

2010年4月18日日曜日

日本への視線



日本を離れ、早くも約9ヶ月がたつ。社会人で働いていて頻繁に行き来することができれば、日本の社会の”空気感”のようなものを感じてこれるのになーと時々思うことがある。


というのも、こっちにいると、友人や知人など1対1のレベルでは、日本への非常に高い好感度、特に料理や芸術など文化に関心をもってくれて、日本人でよかったと嬉しく思うことがよくある。政治・経済になると、「今度の政権は大丈夫なのか」と心配する。


一方、マクロでみると、日本に対して、日に日にあきらめの色が濃くなってきていて、非常につらいものがある。エコノミストの記事を例にとると、3/31の「失敗した郵政改革」では

   恥ずかしい事態”

と書かれ、4/8の「ゆっくりと迫る危機」という国家財政の記事では、

  ”赤字財政とデフレ圧力を前にしても、大胆な行動をとれないでいるのは、 まさに日本人的だ”

と書かれてしまっている。まだこの記事は、日本を完全にスルーしているわけではないが、ビジネスの分野を中心に、やはりジャパン・ナッシングがますます長引いてしまっているな、と思わざるをえないことが多い。



こういう状況に関して、いま国内ではどんな”空気感”が流れているのかはやく感じたい、と思う。そしてまた、ネガティブな話こそ、ポジティブに向き合いたいと思う。




<参考>
Economist 「ゆっくりと迫る危機」: http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=15867844


2010年4月17日土曜日

「頭痛にはタイレノールのかわりに、赤いドレスを」

残り28日。
早くも一週間がおわり。
と書いたが、こっちにきて学期中の感覚で変わったのが、金曜が終わると、土曜からすでに新しい週が始まってるような感覚になりました。土曜から次週の予習をはじめるせいかもしれません。


さて、今日はファッションの話を。



■「頭痛にはタイレノールのかわりに、赤いドレスを」
LANVINというブランドを再生させた、アルバー・エルバズ、というデザイナーがいる。派手さはないが、生地、形、色、そしてテーマ、特に生地と色の組み合わせや作りは一つぬけているように思う。そして何よりさじ加減が絶妙かと。素晴らしいランウェイをとどけてくれます。








デザイナーにしてはめずらしく、ぽっちゃりしている。
そして、服にまつわる考えも面白く、インタビューでの言葉は一つ一つ意味深いものばかり。












まず、現代の女性について、

  「この現代で女性でいることはかなり難しい。女性は、周囲から完璧な母親、完璧な娘、完璧な妻、完璧な美しさ、完璧な仕事、、、でいるよう期待されて行動している。僕がハリウッドのプロデューサーなら、007の主人公をジェームズの代わりにジェーン・ボンドにするよ。」

また、彼自身が渡米し、NYCでGeoffrey Beeneの下での修行していた際の教えから、
ファンションとは何か、について以下のように答えている。

   ”Individualism, that's what fashion is all about. ”

   ”How you make surreal into real, and how real can become surreal.”

   ”What we are doing is its more about selling dream to women to feel good look good to be something that they don't want to be, but till be themselves”

確かに、服(特に女の人)は、その時代の女性の姿を写しているが、ただそのまま反映してるのではなくて、その少し先の夢や期待、といったものも写していると思う。デザイン全般についても、他の分野と今日のファッションの違いをこう指摘する。

  「車、コンピューター、建築など他の分野はいまどれもスマートなデザインをめざしているが、ファッションはいまだにグラマー、セクシーといった概念とくっついている。」

最後に、幼い頃は医者になりたかったことを引き合いに、こう締めくくる。

   ”have to give Tylanol to feel good, ill give you the red dress and you feel marvelous


彼のつくる服自体については、実際メンズは、ルカ・オッセンドライバーがメインを務め、アルバーはアドバイスにとどまっているとされているが、男女双方のコレクションのイメージはいい意味でかなり似ている。こちらも素晴らしいランウェイ。最後にそれぞれ好きなショウを紹介。メンズは特に秋冬になると素材と色の組み合わせのすばらしさが効いてると思います。音楽も毎回いけてるのでぜひ。

2010年4月16日金曜日

残り29日

さて、今日はもう一方のProbem Setを提出し、一段落。
授業的には木曜が山なので、リラックス。明日は天気も20度近くといいようなので、運動もがっつりしてこようかなと。


今日は、PhDの授業でロースクールのBenが、たまたま冷凍ギョーザ事件を例に、トレーサビリティなど日本の食料の安全を法的側面から取り上げていたのだが、

”オーガニック”という言葉が、統一された基準がないために、日本以上にマーケティング戦略となってしまっているアメリカでは、

「モスバーガーというファストフードの店が、その日ハンバーガーに使ってる食材の産地と生産者の名前を表示しているが、めずらしくはない」

という話をすると驚かれる。


事件後の需要の変化を一つとっても、日本の消費者は、商品に対してほんとうに厳しいな、と思う。金融危機の影響も考慮しなくてはならないが、中国からの食料品輸入額は2009年に6400億円、2007年に9200億円(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/0298.html)と、未だに事件以前の水準には至っていない。


では。

2010年4月15日木曜日

「国際化が必要なのはリーダーだけでなく、社会全体」

学期終了まで残り30日。今日は、Problem Setを一個提出し、一週間も中盤。残りも気をひきしめていこう。

小林久志さんという、元プリンストン大の工学部長も努められた方のの東大大学院入学式での日本のリーダーの国際化の必要性を説いたスピーチ(http://hp.hisashikobayashi.com/)に対する感想を。


■国際化が必要なのはリーダーだけでなく、社会全体
小林さんは、日本の失われた20年、先進国中最低GDP成長率という現状と、情報産業の未発達の理由を 

 ・日本のリーダーとその周囲の力量不足

特に

 ・国際競争力を担保する知識、洞察力、英語能力の欠如
 ・国際的な活躍経験、人脈の欠如

と指摘し、日本の大学の国際化の遅れ、特に海外の研究者に対する吸引力の低さに、一部の責任をみいだす。そして、入学式というセッティングのせいも多少あるだろうが、提案として、未来の日本のリーダーである、修士の生徒に(実社会にでる、研究職どちらでも)

 ・PhDないし研究生活をアメリカの大学で送ること
 ・(そうでなくても)英語で教養、専門ともに英語で不自由なくコミュニケートする能力 

の必要性を訴えた。ここまでは、100%同意。入学式という性格上、言及されない要因や提案もあるのも承知。それでも自分のなかで付け加えたい、と思ったのは、

 ・リーダーとその周囲だけが国際化しても、まわりがついていかない

ということだ。失われた20年といえども、成熟社会にはかわりなく、言語と文化のバリアーに社会や市場が守られている現状では、ふつうに暮らしていくなかでは、国際化する必要も感じないだろうし、そのモチベーションもみつからないだろう。もちろん、現実にはそのバリアーが徐々に壊れてきてるからこそ、多くの人が危機感を持ち始めている。そのような世界観で暮らしていると、おそらく、
  
 ・国際化したリーダーとその周囲に共感ができない

と思う。これでは、いくらリーダーが日本を奮いおこそうと頑張っても、一人相撲でしかない。もちろん、奮い起こすために、

 ・真のリーダーは、社会全体の国際化が必要なことも理解

し、とりくむ。現に取り組んでいる方もいるだろう。けれど、圧倒的に数と力が足りてないと思う。この状況が続くと、言語と文化のバリアーの自然崩壊まで、おそらく社会は動かない。


おそらく、このシナリオが可能性としてあるから、最近自分のまわりで、「日本は落ちるとこまで落ちないとどうにもならない」という声をちらほら聞くのだろう。けれど、自分としては、そうは思わない。そもそも、落ちるとこまで落ちるのに何年かかるのだろうか。そこまで日本はヤワじゃない。

そんな風に思うのは、「変えられない」、「自分達の世代にも変えられない」という前提をおいてるから。一方で、そういう前提をつくりたくなる気持ちも自分にも少なからずある。飛び込んでくるニュースはひどいもののほうが多い。それでも、「自分たちの世代で変えられる」っていう前提をおいて行動することが、責任のとりかただと思う。


では。








2010年4月14日水曜日

学期終了まで残り31日





31




気がつけば、残すところ1ヶ月。そのあとも他の件で残るとは思うけど。ということでせっかくなんで毎日かいてみようかと。



■「宿題の難しさ>定期試験」
今日は、勉強的には行動経済学と公共経済学のProblem Set(宿題よりかは重たく、お持ち帰り小テストみたいなもの)を解くのがメイン。
こっちの面白い点は、とくにBotond(http://elsa.berkeley.edu/~botond/)の行動経済学では、ProblemSetの成績のウェイトが、総成績の40%。さらに、中間・期末の3倍以上は難しい。生徒を授業にコミットさせる(or学習効果をあげる)には全く正しい方針ですが、もちろん、生徒はいやがる。

まだまだ定期試験の時間制限に弱い自分としては、助けられてるのだが・・・。助けがいらないようにさっさとなるぞ、と。


■夜は、前学期住んでいた、I-House(国際留学生の寮)に食事、その後クラスメイトと宿題。
ここも、交換留学のいいところであるけれど、すっかり慣れてしまったが、スウェーデン、中国、アメリカ、ブラジル、世界中の友達と囲む食卓。自然と各国の政治、文化、経済の話に花が咲く、、、んー日本戻ったら恋しくなるだろうなぁ。今は日本の食卓が恋しいんだけど。


■「民間とアカデミアの流動性の高さ」
アメリカ系中国人の友達で、イエール大数学学士→トーマツで2−3年勤務→バークレーエンジニア学士、というというやつがいるんだけど、今の学士を1年目でとめて、NYCで1年働いてくる決断をしたと今日話してくれた。

学士、マスター、ドクター、とアカデミアに区切りがついた人材の民間との流動性も大事だけど、各プロセスの途中における流動性もかなり大事のように思う。というのも、メリット:
  1)スピルオーバー
  2)民間のスピード感が個人単位でアカデミアへ伝搬
など、特に2)は大事かと。

こっちの勉強出来る人って、「いつでも民間ではやってけるぜ!」っていうタフな人ばかりだから。日本はいいところはささっと直して、その先で勝負すべき。


さて、明日は教授と朝一でミーティング。では。

2010年4月13日火曜日

ニューヨーク雑感 〜観光編〜

少し遅くなりましたが・・・、

2年ぶりにNYCにいってきた。一緒に住んでいるクリスの友達が住むニューヨーク大学の女子寮へ。観光名所をまわりまくる、というよりかは、ゆっくり時間をとって、NYCのリズムをじっくり味わったという感じ。(または単に昼夜逆転が多かったせいか・・苦笑)

やはりその都市の旬な部分を楽しむには、ジモティの存在はおおきい。感謝。よかったとこを少しあげときます。


■食

(略)

日本のほうが美味しいので・・・。日本でごはんはやくくいたい・・・。




■服

1. CONSORTIUMS

行ったなかでは、一番ヒット。アメカジからハイブランドまで、古着とデットストックを扱ってるが、質と値段がすばらしい。東京の古着屋の比じゃないです。自分のものは結構ここで買った。
それも、考えてみれば、”ナイキ”とか特定の強いブランド名を持たない古着屋が、NYCのSOHOに店をだすということは、質で勝負ができない限り、生き残っていけない。古着屋同士の競争もかなりなものだそう。

ここでは、たまたま居合わせた黒人の人が、自分の地元の隣の駅に住んでることがわかり、まじでびっくりした。

〈住所等〉
5 Delancey Street, New York, NY 1000, (212) 966-1441




そして、なんといっても、



2. ユニクロ























たまたまおれが日本人だからその話題になったこともあったが、それ以外でも、上にあげた地元のセレクトショップや古着屋でユニクロの話をしてる場面に2度遭遇した。(MUJIは1回)特にジーンズの生地のクオリティにかんしてはすこぶる評判がいい。



さて、店内はこんな感じ。

*なぜか、再生ボタンの少し上あたりの画面内を押さないと再生できないので、注意を

注目は、少し前に開始したばかりのJ+(ジル・サンダーのライン)。販売初日には列がこのJ+の入り口からはじまり外まで長蛇の列ができていたとのこと。


J+に関して、個人的感想も少し。
Vネックのセーターを例にとると、40$と安くないが、Jill Sander使ったわりにはカットがよくなかったので、買いはしなかった。色はさすがだと思うし、生地の質も考えると、いわゆるファストファッション(TOPMAN、HM、ZARA)には優があると思う。

ただ、今後のJ+の困難は、イメージ戦略にあるように思う。土台がカジュアルで売ってるだけに、J+にモード感のみもたせるのは簡単でない。特にSOHOでもブースのデザインは変えているものの、店内併設だとやはり独立したイメージを持たせるのは難しい。

もちろん、こんなことは柳井さんの計画内だろうが、J+の潜在的な敵は少々価格帯が上のバナリパかと思う。
5年、10年のスパンでは、このJ+の反応次第で、UNIQLOが完全な独立した別のブランドを展開することも視野にあると思う。バナリパがGAP傘下に入り、その資金源でランウェイのショー開催など積極的なブランド戦略のもと今のイメージをつくったように。



3. Any Old Iron

ヴィヴィアンとか、UKの服がすきな人にいってほしいお店。
ここでも、別の面から、日本の国内市場の強さを感じることに。
というのも、ちょうど行ったとき、”A Child of The Jago” というVivienneの新ブランドがたちあがったばかりで、ロンドンの旗艦店と、ここにExclusiveで初回生産を仕入れてるとのことだったが、オーナーのAndrew曰く、「東京のビームスが10倍はもってってる。」そう。ビームス恐るべし。

写真は、Andrewと、彼の祖父の英国っぷりを発揮した絵。(でもこの絵はタイかどこかで祖父が旅行中に道端の画家に顔だけ入れかえて描いてもらったんだとか。)

ブランドの裏話とかもいろいろ聞けたのだが、長くなるのでまた別の機会に。





2. In God We Trust

リメイクもの中心。特にアクセサリーとかカッコいいの多かったな。美人店員JULIEが面白く、プライバシーもあるからあんまかけないが、家族の関係で日本のレアな部分もよくしっているw
NYC内に4つ店舗があるが、そのうち、
Lower East Side, 135 Ludlow St. New York. New York 10002


3. Teddy Boy

リメイクの冬物コートがとにかくかっこいい。いろんな襟の形をしたコートや、その裏地にもこだわっている。海外にも発送するそう。



■くらぶ

一番よかったのは、

1. lit

1階、地下バラバラにかけてるが、汚い感じの地下が雰囲気的にもおすすめ。80’sを多くかけてたが、ここでNewOrderを久々に聞いて、JoyDivisionのイアン・カーティスが死んだあと、残りメンバーがNYCのクラブシーンでエレクトロのサウンドを培ってったストーリーを思い出し、感慨深かった。


他は、

2. Sway

ジモティ曰く日曜夜といったらここ。ただしほかと比べて多少客を選ぶが、あからさまな観光客スタイルや音楽から外れた格好をしてなければ問題なさそう。


3. National Underground

アングラのミニマルテクノの会場がたまたまここだった。前日に初めて場所が公表された。ふだんはランダムに、R&B、ソウル、ハウス、ロック、なんでもやってるようなので、ふらっといってみるのもいいかも。
これの地下。







最後に、観光らしく、グランドセントラルステーションでかっこつけてNYCの中心にたってみる。(thanks for a photo, Chris)



では。

2010年3月22日月曜日

デモ行進



ちょっと遅くなりましたが、3月4日に決行された、大規模なデモ行進について。以前ブログにもかいたように、これは、直接的には授業料32%アップ、公教育の重要性、また背景にある州政治に対する抗議。

最もリベラルなバークレーから学生、教員(今回はあまりいなかった)、住民、が集結し、隣町のオークランドまで、途中、他の州立の学校のデモと合流し、行進していく。(学生によるテレビ放映

32%の授業料値上げででどれだけの人が高等教育を受ける機会を失うかを想像して欲しい。

あつまる、人、人、人。

老若男女、抗議する。このおじいちゃんも、バークレーの卒業生だそう。



−−−
決して、みな、ただ歩いてるだけではなく、この抗議以前から、生徒委員会を中心に、生徒側で提案する既存のUCシステムへの代替案があり、連邦政府からの資金供給増加がある。

この公教育の危機に対するオバマの準備している対応は、悪い状態にある公立の学校への約4300億円の追加資金。

この金額は、ウォールストリートの救済に使った70兆円の、170分の1。公共政策大学院の教授、元米国労働長官ボブ・ライシュの言葉をかりれば、

   「優先順位をかえるべきだ。私たちの学校は人的資本のエンジンであり、公教育をウォールストリートを救ったように救済しなければ、より大きな経済のアルマゲドンが数年後に訪れることになる」



この言葉、日本人の自分にはとても痛い。
相対的かつ絶対的な教育水準の低下、教育の機会の平等、高等教育の役割の停滞、といった日本の教育の現状を考えると。



ではでは

2010年3月14日日曜日

ソーシャルビジネスの位置づけ




ソーシャルビジネスの位置づけについて議論がされていたので、今までの学びとLIPでの活動での実感をもとに、自分なりに図示。この図示の目的は、ソーシャルビジネスの比較優位と課題をわかりやすく把握すること。


■みかた

<モチベーション>とは、事業の動機のこと。ビジネスが、利益を得る”機会”を求めて行われるのに対し、NPOやチャリティは、貧困や自然災害、社会問題など、人々の切実な”必要”を満たすことを最優先に行われる。

ソーシャルビジネスは、両方の特徴をあわせもつ。例えば、マイクロファイナンスは、お金を貸して利益をえる機会を求める、と同時に、金融サービスへのアクセスがないために経済的自立ができない途上国の人々の必要を満たす。


また、調達金利で持続性がはかれるとする。例えば、チャリティーやNPOは寄付収入により運営されるので、調達金利は0となる。一方、ソーシャルビジネスの資金源は、寄付から低めに設定された利子での借入、市場金利での借入まで、様々である。

それぞれの◯の大きさは規模を表す。



■比較優位

従来から存在した、NPOやチャリティーに比べ、高い持続性を実現できる

■課題

人々の切実な必要をみたしながらいかに持続性を高めていくか、ここでは、いかにスケールアップしていくか、と言い換えることができる。トレードオフは、持続性と人々の切実な必要を満たす度合い。

2010年2月22日月曜日

キャンパス立てこもりと刑務所民営化



このキャンパス立てこもりのビデオは、先学期の11月に、次学期から学部生の授業料が32%アップすることを受けて学生が行ったでデモ。Wheeler Hallという僕もよく授業にいく建物を完全に占拠、授業はキャンセル、逮捕者もでた。

これだけでも大事件だった。というのも、バークレーは全米の1960年代のフリースピーチ運動の発祥の地で、大学の校風としてはthe most liberal of the liberalなのだが、それ以来はこの規模での運動が行われることはなかった。そう考えると、すごいタイミングできてしまったなーと感じる。今でも、教育関連の修正法案が議会で提出されるタイミングなどで、頻繁にデモが行われている。


この背景にあるのは、州の予算不足なのだが、不足だけでなく、配分の問題も大きい。


右の数字をみると、教育と刑務所の予算配分がいかに反転したか、ということがわかる。移民が歴史的に多かったカリフォルニア州にとって、パブリックエデュケーションは他の州に比べ最もお金と力を注いできた分野で、バークレーの所属するUC (University of California) だけでなく、CSU (The California State University)など、いわば”売り”だった。


州知事のシュワちゃんは
  “What does it say about any state that focuses more on prison uniforms than on caps and gowns?" "It simply is not healthy.”
とのべ、「刑務所を民営化し、メキシコにお金を払い施設を建て、そこに犯罪者を収容する」提案をしている。


刑務所民営化、日本の感覚からすると大胆なように思えるが、実はすでにここでは、州外に建てられた施設で行われており、
民営化賛成派の上げるメリットとしては
  ・コスト削減
  ・収容能力拡大のスピード

反対派の根拠としては
 ・クオリティコントロールが行き届かない
 ・ゆえに再犯がふえ、治安悪化可能性

があげられているが、刑務所ないのクオリティを
 ・収容者同士の暴力
 ・収容者対看守の暴力

メイン2つでみると、民営化された刑務所は、州・連邦の刑務所施設に比べ、これらをより多く防げている。さらに刑務所内での教育プログラムなど他のクオリティも優っているという研究がでている。しかし、一方で、民営化された刑務所同士で比べると、クオリティの向上したものと、一部低下したものの差が激しいという事実があるので、官民間の契約によってなぜその差が生まれるのかの究明が課題。


--

思ったのは、

民営化の議論は、”どこまで民営化/外注するか”というスコープ(範囲)の議論に帰結すると。例えば、どんな種類の刑務所でも、食堂、清掃関連は専門のサービス会社が入るだろう。
極論、経済的側面だけをみて、倫理・法的側面を除けば、官民の契約と競争が機能しクオリティコントロールが効く限り、すべて外に出せる

民営化を広くとり、外注も含めれば、国公立の大学・私立、ともに客員教授が増えているのも、この理由でしょう。
日本が軍事をアメリカにまかせているのも、日米安保という”契約”の下での、外注だろう。



ではでは



---

<Notes>
Anna Lukemeyer and Richard C. McCorkle, Privatization of Prisons: Impact on Prison Conditions, The American Review of Public Administration 2006; 36; 189

The Economist, Jailhouse blues, http://www.economist.com/world/united-states/displaystory.cfm?story_id=15500687

OLIVER HART ANDREI SHLEIFER ROBERT W. VISHNY, THE PROPER SCOPE OF GOVERNMENT: THEORY AND AN APPLICATION TO PRISONS*, The Quarterly Journal of Economics, November 1997

2010年2月20日土曜日

アフリカが豊かになるには               ~ポール・コリアー講演~

遅くなってしまいましたが、先日参加したポールコリアーの講演についてのレポートを。


著書の中でも彼が述べているように、
BOPのうち最貧の10億人の多くはアフリカ諸国に住んでおり、
経済発展が未だに進まない理由の一つとして、「資源の罠」があげられている。

天然資源の罠とは、強い天然資源への依存が、他の経済活動を停滞させ、さらにバッド・ガバナンスとクーデターを招きうる、というもの。講演では、そのような厳しいアフリカの現実を踏まえつつ、ハイチからの学びをまじえながら、前向きなメッセージが語られた。






内容は、経済発展の促進策として、ハードの「メガシティ」と、それを支えるソフトとしての「ルール」の2つについて。


1)メガシティの有効性

メリットとしてあげられたのは、

・生産性の向上

空間的に組織を拡大するだけで、生産性が4%ー8%上がるという。ここで、なぜ一般的な大都市でなく「メガシティ」か、の理由は以下。
アフリカは現在、国際貿易の進展により垂直統合の解体が進み、垂直統合、特に空間的クラスターの形成により享受できるメリットを受け取れないでいる。なぜなら、解体が進むと、製造業であれば、製造工程の一部分に守備範囲が限定され、労働力には少ないスキル・ノウハウしか蓄積されない。ならば、産業技術の集積やスピルオーバー、といったメリットを得るために、メガシティによって、垂直統合解体から垂直統合形成をねらう、というのがコリアーのメッセージ。その他にも、メガシティは規模の経済の恩恵も大きいとのこと。

このクラスターの競争優位を印象付けるのが、世界の2/3のボタンは一箇所で作られている、またインドには2000万都市が2つ存在するが、アフリカには1000万都市すら存在しない、ということ。



2)ルールの重要性

彼のハイチへの言及は以下に整理される。

・災害前

自然災害としての地震でなく、人災としてとらえたとき、耐震基準、さらにはその裏にある倫理的基準の崩壊が根底にあり、倫理的基準というルールを変えることが必要とのこと。

・災害後

目新しくないが、復興の現場で、固定電話でなく、携帯電話などモバイルデバイスが活躍している、ということ。

社会インフラとしての電話を考えたとき、固定電話はガス・水道と同様、強いガバナンスを必要とするのに対し、アフリカをはじめ途上国で一般的なプリペイド式携帯電話は、契約を必要としない自由なビジネスモデルであり、その分ガバナンスをあまり必要としない。言い換えれば、携帯電話は組織の腐敗からもっとも遠いデバイスとのこと。ここでも、”プリペイド”というルール一つがいかに社会の利益を変えるかがみてとれる。もちろん、エチオピアのM-PESAのようなモバイルバンキングについては、その自由さと民間ならではの急速な成長の反面、消費者保護など、公の組織の力が不可欠な側面がでてくるのは事実。

このような自由度の高くかつ公益につながる”ルール”が、途上国の経済発展に欠かせないということができる。



3)実際、どうメガシティをつくるのか?

これは、質問したところ。

・コリアーの意見

アフリカでは、紛争後、選挙制度など政治システムの整備を第一にすると、結局は腐敗・汚職を招くため、順番を変えて、経済開発を第一にもってくる必要がある、ということだ。

・疑問

しかし、この講演の中で語られた、経済開発としてメガシティを目指す、ということは、都市開発に必要な行政的・政治的なパワーをメガシティをつくる以前に確保しておく必要があることを意味する。”メガ”なら尚更である。

こう考えてみると、そのようなパワーを官に確保しておく、ということは、結局政治・行政システムを優先することと同義であり、話がもとに戻ってしまう。


・コリアーの答え

この矛盾に対する解決策のうち一つは、Paul Romerの”チャーター・シティ”。

”チャーター・シティ”の特徴は、複数の国と投資家がパートナーシップを結ぶことで、国の役割を限りなく軽減し、市場経済に基づいた都市開発を行う点にある。投資家とパートナーシップを結び、権限委譲することで、彼らの長期のコミットメントを担保し、社会インフラなど都市開発への投資を市場に行わせる、というもの。このパートナーシップと権限委譲が、政治・行政システムを優先させる必要なく、経済開発を第一とすることを可能にするという。

また、なるべく人があまり住んでない土地につくるのが良く、なぜなら、”チャーター・シティ”の住民は、そこの住人になることを所与もしくは強制されるのでなく、自ら選択しなければならない。


成功例としてローマーがあげるのは、香港。香港は、事実上、”チャーター・シティ”の構造をもつモデルであり、イギリス・中国・投資家のパートナーシップの下で、それ以前の”ルール”を”自由で公益につながるルール”に変えるによって実現したという。その後中国はこの”チャーター・シティ”のモデルを経済特区などの形を使い、中国の他地域にスケールアウトしていったと彼は捉え直す。


ここで”ルール”として挙げられるのが、土地関連の制度。例えば、先進国ではごく一般的な、住民の所有権で、前者は住民が土地を登録し所有権をもつことで、担保にして金融サービスへのアクセスをえて、ビジネスを活性化させうる。一方、国も、地価の上昇から利益を得られるようにし、その利益を投資家誘致のため、さらに都市の価値を上げることにつとめる。



ーーー


こうまとめ直してみると、非常にばっくりとした解決策だ。”チャーター・シティ”のアイディア自体ができたばかりなせいもあるだろう。しかし、現在の途上国の都市問題の多くは、適切な住環境の供給・キャパ不足に起因し、背景には慢性的な政府の予算不足と行政の不機能があることを考えると、チャーター・シティの”都市開発の自由化”という方向性は正しいと思う。


また、コリアーはアフリカ開発研究の第一人者なのを考えると、誰よりも厳しい現状を知り、目をつぶりたくなったこともあるはず。それでも、前向きに問題に立ち向かう姿は、ただただ見習いたい、と思う。


自分も、どんなに目前の問題が複雑でお手上げでも、前向きに立ち向かおう、と改めて決意。


あと、コリアーさんは身内からのスピーチの評価がいつもよくないことを自虐ネタにする、とても愉快な人でした。


留学生活も100日を切ったので、悔いのないよう、ひきつづき頑張ります。

長くなりましたが、ではでは。

2010年1月23日土曜日

ビールと人



早速、PALE ALEを作りました。
5ガロン(約19リットル)から52本ボトルができます。
2−3週間+ボトリング後5−10日と、思ってたより早くできるよう。


で、ちょっと改めて思ったのは、ビールのうまさとは裏腹に、ビールをつくるプロセスは、香りは良いのですが、綺麗なものじゃありません。やっぱり、人も、素晴らしい、尊敬できると思える人も影で決して綺麗じゃない地道な努力を沢山してるんだろうな、と思いました。


完成したら、一人5本づつ一気に飲み干す予定ですw

2009年12月30日水曜日

2009年総括

空港で書いた今年の総括と来年の抱負を。


--

今シアトル・タコマ空港で、サンフランへのフライトを待っています。まだ29日なので、そのつもりはなかったのですが、今年を振り返ったので、ここに書いておきます。


空港は公共スペースのなかでも好きな場所の一つ。考え事に最適な気がする。空港では、国籍・人種を超えて無数の人が一瞬にして通り過ぎ、その数だけ人生が交差し、一人の人間の非力さと現代社会のスピードの恐ろしさを同時に感じることができる。

ちょうど今、他大に留学中の友人とシアトル・バンクーバーに行き、帰って来たばかりで、非常にいろんなことを考えさせられる機会になった。

下らない話、勉強、進路、将来、あらゆる話をしたけど、まず自分が今どういう状況なのかより理解が深まったと思う。この時期に済んでいるはずの決断はおろか、頭の整理もあまり進んでいないことに対する危機感をより強く感じた。けれど、今自分に必要なのは、迷うことを肯定的に受け入れること。

タイムフレームに押され、迷うことに否定的な姿勢をとると、判断がごく近視眼的になってしまう。たとえ一度長期的なヴィジョンに基づいて選択肢を準備しても、半年で自分や自分を囲む環境が大きく変わりうることを考えると、その状態はベストな判断をするにあたり非常に危険。

弊害として、いただいている良いお話にも、120%向き合あうことができていない。また、日ごろお世話になっている人に相談に乗ってもらっていても、自分の整理の不十分さで十分に責任のある姿勢で望めていないことに気づき反省。

ここ半年で何が変わったか、というと、中身自体が変わったのではなく、もっていた危機感と思いが予想異常に強くなった。よく留学は人をナショナリストににすると言うけれど、日本への客観視により得る示唆は多く、予想異常に自分に対し強いインパクトがあった。特に日中米間の示唆が多い。

こう通して自分のことを振り返ってみて気づくのは、自分の精神的な未熟さ。同じような環境にいても、もっと前向きに向かい、本当の意味で周囲の状況を心配する余裕を保てる人間がいる。特にこの旅行は短時間だったけど、すごく長かったように感じる。友人に感謝。


最後に。2009年に一寸の悔いはない。2010年は、留学後半戦/進路/帰国後の活動の結果は最低限、何よりも精神的に成長したい。

--


P.S. ヴァージン航空を初めて使ったけど、航空事業単体の会社と比べ、航空事業をポートフォリオの一部として運営することがいかにサービスに違いを生むかに驚いた。CA然り、車内販売然り、無料WiFiサービス然り。

As for the trip per se, I wanna definitely come back to Washington for Sasquatch Music Festival 2010, which takes place at The Gorge Amphitheatre having sci-fi scenery with great lineups.

2009年7月7日火曜日

適性

瞬発力か、持久力か。
または両方か。だとしても自分の適性はどのようなウェイトなのか。

全てを適性で判断するというのは、自分にできない。やはり、どんな角度から考えても、やることは変わらないよう。