2010年4月15日木曜日

「国際化が必要なのはリーダーだけでなく、社会全体」

学期終了まで残り30日。今日は、Problem Setを一個提出し、一週間も中盤。残りも気をひきしめていこう。

小林久志さんという、元プリンストン大の工学部長も努められた方のの東大大学院入学式での日本のリーダーの国際化の必要性を説いたスピーチ(http://hp.hisashikobayashi.com/)に対する感想を。


■国際化が必要なのはリーダーだけでなく、社会全体
小林さんは、日本の失われた20年、先進国中最低GDP成長率という現状と、情報産業の未発達の理由を 

 ・日本のリーダーとその周囲の力量不足

特に

 ・国際競争力を担保する知識、洞察力、英語能力の欠如
 ・国際的な活躍経験、人脈の欠如

と指摘し、日本の大学の国際化の遅れ、特に海外の研究者に対する吸引力の低さに、一部の責任をみいだす。そして、入学式というセッティングのせいも多少あるだろうが、提案として、未来の日本のリーダーである、修士の生徒に(実社会にでる、研究職どちらでも)

 ・PhDないし研究生活をアメリカの大学で送ること
 ・(そうでなくても)英語で教養、専門ともに英語で不自由なくコミュニケートする能力 

の必要性を訴えた。ここまでは、100%同意。入学式という性格上、言及されない要因や提案もあるのも承知。それでも自分のなかで付け加えたい、と思ったのは、

 ・リーダーとその周囲だけが国際化しても、まわりがついていかない

ということだ。失われた20年といえども、成熟社会にはかわりなく、言語と文化のバリアーに社会や市場が守られている現状では、ふつうに暮らしていくなかでは、国際化する必要も感じないだろうし、そのモチベーションもみつからないだろう。もちろん、現実にはそのバリアーが徐々に壊れてきてるからこそ、多くの人が危機感を持ち始めている。そのような世界観で暮らしていると、おそらく、
  
 ・国際化したリーダーとその周囲に共感ができない

と思う。これでは、いくらリーダーが日本を奮いおこそうと頑張っても、一人相撲でしかない。もちろん、奮い起こすために、

 ・真のリーダーは、社会全体の国際化が必要なことも理解

し、とりくむ。現に取り組んでいる方もいるだろう。けれど、圧倒的に数と力が足りてないと思う。この状況が続くと、言語と文化のバリアーの自然崩壊まで、おそらく社会は動かない。


おそらく、このシナリオが可能性としてあるから、最近自分のまわりで、「日本は落ちるとこまで落ちないとどうにもならない」という声をちらほら聞くのだろう。けれど、自分としては、そうは思わない。そもそも、落ちるとこまで落ちるのに何年かかるのだろうか。そこまで日本はヤワじゃない。

そんな風に思うのは、「変えられない」、「自分達の世代にも変えられない」という前提をおいてるから。一方で、そういう前提をつくりたくなる気持ちも自分にも少なからずある。飛び込んでくるニュースはひどいもののほうが多い。それでも、「自分たちの世代で変えられる」っていう前提をおいて行動することが、責任のとりかただと思う。


では。








2 件のコメント:

  1. 社会全体の国際化ってどゆこと?

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  2. ここでは特に、やっぱ大きいのは教育やコミュニティづくりとかかな。

    シンガポールほど極端には難しいとしても、初等教育から英会話だけでなく英語で学ぶ教科を設けるとか、今後アジアからの外国人労働者がふえるなかで、積極的にコミュニティの融和を図るなど。
    あとは、政策うんぬんより、ふつうに普段暮らすなかで、国際的にみた日本の現状ついて考える機会が誰にでもふえてほしいな、とも思う。

    政治面では、在日の人や移民の参政権の問題かな。

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