2010年4月1日木曜日

次のステップ


4/1をむかえ、同期が次々と社会人、大学院、と次のステップに向かう。


卒業する友人へ。ほんとうにおめでとう。こっちまで嬉しくなって力をもらいました。ありがとう。頑張りましょう。


今、アメリカはまだ3/31、俺はまだ学部で勉強しています。


まだ少し寒いものの、心地よい日差しのなかジムと水泳で、NYCへの旅行でなまった体に活をいれてきたところ。


今から、3時半からの教授のスーザンとのミーティングに向けて論文を読みなおします。


今、すべてがうまくいってるわけじゃない。
ある中間試験の結果には、本当に情けなかった。演習不足で解ききれず、平均を切りこれまでの小テストの貯金を全部ぱーにする始末。


それでも、今、自分のなかである思いが確信に変わりつつある。この目まぐるしく変わる世界で、日本にとって、自分にとって、なにがベストか仮説ができはじめている。


とまぁ偉そうに聞こえることは控えめにして、


ふと感じたのは、
本当に、今、友人たちが次のステップをまさに迎えようとしてるこの瞬間に、
心からわくわくしているということ。


自分のやりたいことができる環境を手に入れた人、
そうでなくても、そうなるべく必死に努力している人、
どんな境遇であれ、同じ世代が社会にでる、というのは、大きな意味を感じる。


世代によって、この2010年度も大きく見かたは異なるだろう。
些細な差かもしれないが、この世代だけにしかみえない視点と任務があるはずだ。
決して驕りでなく、この世代もいつかは役目を次に渡す。


2010年度は「まだ不況」「政治混乱」「落ちた日本」なんてラベルをはるべき年じゃない。
2010年度はこの世代のスタートで、希望とアツさで満たすべき一年。たとえ実際にはどんだけ苦労し、めげそうになっていたとしても。



さて、俺は残り1ヶ月半、もうちょっとここでがむしゃらやってから日本に帰ります。


自分にとっても次のステップは始まっています。人生に準備は存在せず、準備し始めた瞬間、すでに次が始まっていると思うので。

2010年3月22日月曜日

デモ行進



ちょっと遅くなりましたが、3月4日に決行された、大規模なデモ行進について。以前ブログにもかいたように、これは、直接的には授業料32%アップ、公教育の重要性、また背景にある州政治に対する抗議。

最もリベラルなバークレーから学生、教員(今回はあまりいなかった)、住民、が集結し、隣町のオークランドまで、途中、他の州立の学校のデモと合流し、行進していく。(学生によるテレビ放映

32%の授業料値上げででどれだけの人が高等教育を受ける機会を失うかを想像して欲しい。

あつまる、人、人、人。

老若男女、抗議する。このおじいちゃんも、バークレーの卒業生だそう。



−−−
決して、みな、ただ歩いてるだけではなく、この抗議以前から、生徒委員会を中心に、生徒側で提案する既存のUCシステムへの代替案があり、連邦政府からの資金供給増加がある。

この公教育の危機に対するオバマの準備している対応は、悪い状態にある公立の学校への約4300億円の追加資金。

この金額は、ウォールストリートの救済に使った70兆円の、170分の1。公共政策大学院の教授、元米国労働長官ボブ・ライシュの言葉をかりれば、

   「優先順位をかえるべきだ。私たちの学校は人的資本のエンジンであり、公教育をウォールストリートを救ったように救済しなければ、より大きな経済のアルマゲドンが数年後に訪れることになる」



この言葉、日本人の自分にはとても痛い。
相対的かつ絶対的な教育水準の低下、教育の機会の平等、高等教育の役割の停滞、といった日本の教育の現状を考えると。



ではでは

2010年3月14日日曜日

ソーシャルビジネスの位置づけ




ソーシャルビジネスの位置づけについて議論がされていたので、今までの学びとLIPでの活動での実感をもとに、自分なりに図示。この図示の目的は、ソーシャルビジネスの比較優位と課題をわかりやすく把握すること。


■みかた

<モチベーション>とは、事業の動機のこと。ビジネスが、利益を得る”機会”を求めて行われるのに対し、NPOやチャリティは、貧困や自然災害、社会問題など、人々の切実な”必要”を満たすことを最優先に行われる。

ソーシャルビジネスは、両方の特徴をあわせもつ。例えば、マイクロファイナンスは、お金を貸して利益をえる機会を求める、と同時に、金融サービスへのアクセスがないために経済的自立ができない途上国の人々の必要を満たす。


また、調達金利で持続性がはかれるとする。例えば、チャリティーやNPOは寄付収入により運営されるので、調達金利は0となる。一方、ソーシャルビジネスの資金源は、寄付から低めに設定された利子での借入、市場金利での借入まで、様々である。

それぞれの◯の大きさは規模を表す。



■比較優位

従来から存在した、NPOやチャリティーに比べ、高い持続性を実現できる

■課題

人々の切実な必要をみたしながらいかに持続性を高めていくか、ここでは、いかにスケールアップしていくか、と言い換えることができる。トレードオフは、持続性と人々の切実な必要を満たす度合い。

2010年3月8日月曜日

春がきた



いよいよ、待ちにまっていた春がきた。
ここ最近は15度くらいあり、何も言うことがない。



春の風にふかれ、ふと、振り返る。


あたりまえだが、
変わるものは変わるし、変わらないものは変わらない。

以前に予想してた変化は意外とちっぽけで、日常で感じる小さな発見が積み重なって、ふりかえると大きな変化だったりする。

さらにいえば、変化自体は東京にいてもおこるわけで、むしろ意味があると思ったのは、


  何をもち続けたいか、
  何を変えたいか、
  何をもち続けられるか、
  何を変えうるか、


ここらへんをクリアにするための視点や判断軸を、この7ヶ月はあらゆる面で強く育ててくれたように思う。
20年、日本で育ってきた自分としては、十分に大きい。
また、なぜか確信をもっていえるのが、今ここで感じてることは10年、20年先も、強く残り、先の行動の原動力になってるだろう、ということ。

それが今の率直な感想。


迷いも戸惑いもあるが、進むしかない。
立ち止まることは相対的な後退。
でもあくまでも自然体でいきたい。


残り3ヶ月をきった。
やはり時がたつのははやい。
夜のバークレーは静かで余計に考え事がすすむ。

今週は春休み前の山場なので心してかかろう。

2010年2月22日月曜日

キャンパス立てこもりと刑務所民営化



このキャンパス立てこもりのビデオは、先学期の11月に、次学期から学部生の授業料が32%アップすることを受けて学生が行ったでデモ。Wheeler Hallという僕もよく授業にいく建物を完全に占拠、授業はキャンセル、逮捕者もでた。

これだけでも大事件だった。というのも、バークレーは全米の1960年代のフリースピーチ運動の発祥の地で、大学の校風としてはthe most liberal of the liberalなのだが、それ以来はこの規模での運動が行われることはなかった。そう考えると、すごいタイミングできてしまったなーと感じる。今でも、教育関連の修正法案が議会で提出されるタイミングなどで、頻繁にデモが行われている。


この背景にあるのは、州の予算不足なのだが、不足だけでなく、配分の問題も大きい。


右の数字をみると、教育と刑務所の予算配分がいかに反転したか、ということがわかる。移民が歴史的に多かったカリフォルニア州にとって、パブリックエデュケーションは他の州に比べ最もお金と力を注いできた分野で、バークレーの所属するUC (University of California) だけでなく、CSU (The California State University)など、いわば”売り”だった。


州知事のシュワちゃんは
  “What does it say about any state that focuses more on prison uniforms than on caps and gowns?" "It simply is not healthy.”
とのべ、「刑務所を民営化し、メキシコにお金を払い施設を建て、そこに犯罪者を収容する」提案をしている。


刑務所民営化、日本の感覚からすると大胆なように思えるが、実はすでにここでは、州外に建てられた施設で行われており、
民営化賛成派の上げるメリットとしては
  ・コスト削減
  ・収容能力拡大のスピード

反対派の根拠としては
 ・クオリティコントロールが行き届かない
 ・ゆえに再犯がふえ、治安悪化可能性

があげられているが、刑務所ないのクオリティを
 ・収容者同士の暴力
 ・収容者対看守の暴力

メイン2つでみると、民営化された刑務所は、州・連邦の刑務所施設に比べ、これらをより多く防げている。さらに刑務所内での教育プログラムなど他のクオリティも優っているという研究がでている。しかし、一方で、民営化された刑務所同士で比べると、クオリティの向上したものと、一部低下したものの差が激しいという事実があるので、官民間の契約によってなぜその差が生まれるのかの究明が課題。


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思ったのは、

民営化の議論は、”どこまで民営化/外注するか”というスコープ(範囲)の議論に帰結すると。例えば、どんな種類の刑務所でも、食堂、清掃関連は専門のサービス会社が入るだろう。
極論、経済的側面だけをみて、倫理・法的側面を除けば、官民の契約と競争が機能しクオリティコントロールが効く限り、すべて外に出せる

民営化を広くとり、外注も含めれば、国公立の大学・私立、ともに客員教授が増えているのも、この理由でしょう。
日本が軍事をアメリカにまかせているのも、日米安保という”契約”の下での、外注だろう。



ではでは



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<Notes>
Anna Lukemeyer and Richard C. McCorkle, Privatization of Prisons: Impact on Prison Conditions, The American Review of Public Administration 2006; 36; 189

The Economist, Jailhouse blues, http://www.economist.com/world/united-states/displaystory.cfm?story_id=15500687

OLIVER HART ANDREI SHLEIFER ROBERT W. VISHNY, THE PROPER SCOPE OF GOVERNMENT: THEORY AND AN APPLICATION TO PRISONS*, The Quarterly Journal of Economics, November 1997

2010年2月20日土曜日

アフリカが豊かになるには               ~ポール・コリアー講演~

遅くなってしまいましたが、先日参加したポールコリアーの講演についてのレポートを。


著書の中でも彼が述べているように、
BOPのうち最貧の10億人の多くはアフリカ諸国に住んでおり、
経済発展が未だに進まない理由の一つとして、「資源の罠」があげられている。

天然資源の罠とは、強い天然資源への依存が、他の経済活動を停滞させ、さらにバッド・ガバナンスとクーデターを招きうる、というもの。講演では、そのような厳しいアフリカの現実を踏まえつつ、ハイチからの学びをまじえながら、前向きなメッセージが語られた。






内容は、経済発展の促進策として、ハードの「メガシティ」と、それを支えるソフトとしての「ルール」の2つについて。


1)メガシティの有効性

メリットとしてあげられたのは、

・生産性の向上

空間的に組織を拡大するだけで、生産性が4%ー8%上がるという。ここで、なぜ一般的な大都市でなく「メガシティ」か、の理由は以下。
アフリカは現在、国際貿易の進展により垂直統合の解体が進み、垂直統合、特に空間的クラスターの形成により享受できるメリットを受け取れないでいる。なぜなら、解体が進むと、製造業であれば、製造工程の一部分に守備範囲が限定され、労働力には少ないスキル・ノウハウしか蓄積されない。ならば、産業技術の集積やスピルオーバー、といったメリットを得るために、メガシティによって、垂直統合解体から垂直統合形成をねらう、というのがコリアーのメッセージ。その他にも、メガシティは規模の経済の恩恵も大きいとのこと。

このクラスターの競争優位を印象付けるのが、世界の2/3のボタンは一箇所で作られている、またインドには2000万都市が2つ存在するが、アフリカには1000万都市すら存在しない、ということ。



2)ルールの重要性

彼のハイチへの言及は以下に整理される。

・災害前

自然災害としての地震でなく、人災としてとらえたとき、耐震基準、さらにはその裏にある倫理的基準の崩壊が根底にあり、倫理的基準というルールを変えることが必要とのこと。

・災害後

目新しくないが、復興の現場で、固定電話でなく、携帯電話などモバイルデバイスが活躍している、ということ。

社会インフラとしての電話を考えたとき、固定電話はガス・水道と同様、強いガバナンスを必要とするのに対し、アフリカをはじめ途上国で一般的なプリペイド式携帯電話は、契約を必要としない自由なビジネスモデルであり、その分ガバナンスをあまり必要としない。言い換えれば、携帯電話は組織の腐敗からもっとも遠いデバイスとのこと。ここでも、”プリペイド”というルール一つがいかに社会の利益を変えるかがみてとれる。もちろん、エチオピアのM-PESAのようなモバイルバンキングについては、その自由さと民間ならではの急速な成長の反面、消費者保護など、公の組織の力が不可欠な側面がでてくるのは事実。

このような自由度の高くかつ公益につながる”ルール”が、途上国の経済発展に欠かせないということができる。



3)実際、どうメガシティをつくるのか?

これは、質問したところ。

・コリアーの意見

アフリカでは、紛争後、選挙制度など政治システムの整備を第一にすると、結局は腐敗・汚職を招くため、順番を変えて、経済開発を第一にもってくる必要がある、ということだ。

・疑問

しかし、この講演の中で語られた、経済開発としてメガシティを目指す、ということは、都市開発に必要な行政的・政治的なパワーをメガシティをつくる以前に確保しておく必要があることを意味する。”メガ”なら尚更である。

こう考えてみると、そのようなパワーを官に確保しておく、ということは、結局政治・行政システムを優先することと同義であり、話がもとに戻ってしまう。


・コリアーの答え

この矛盾に対する解決策のうち一つは、Paul Romerの”チャーター・シティ”。

”チャーター・シティ”の特徴は、複数の国と投資家がパートナーシップを結ぶことで、国の役割を限りなく軽減し、市場経済に基づいた都市開発を行う点にある。投資家とパートナーシップを結び、権限委譲することで、彼らの長期のコミットメントを担保し、社会インフラなど都市開発への投資を市場に行わせる、というもの。このパートナーシップと権限委譲が、政治・行政システムを優先させる必要なく、経済開発を第一とすることを可能にするという。

また、なるべく人があまり住んでない土地につくるのが良く、なぜなら、”チャーター・シティ”の住民は、そこの住人になることを所与もしくは強制されるのでなく、自ら選択しなければならない。


成功例としてローマーがあげるのは、香港。香港は、事実上、”チャーター・シティ”の構造をもつモデルであり、イギリス・中国・投資家のパートナーシップの下で、それ以前の”ルール”を”自由で公益につながるルール”に変えるによって実現したという。その後中国はこの”チャーター・シティ”のモデルを経済特区などの形を使い、中国の他地域にスケールアウトしていったと彼は捉え直す。


ここで”ルール”として挙げられるのが、土地関連の制度。例えば、先進国ではごく一般的な、住民の所有権で、前者は住民が土地を登録し所有権をもつことで、担保にして金融サービスへのアクセスをえて、ビジネスを活性化させうる。一方、国も、地価の上昇から利益を得られるようにし、その利益を投資家誘致のため、さらに都市の価値を上げることにつとめる。



ーーー


こうまとめ直してみると、非常にばっくりとした解決策だ。”チャーター・シティ”のアイディア自体ができたばかりなせいもあるだろう。しかし、現在の途上国の都市問題の多くは、適切な住環境の供給・キャパ不足に起因し、背景には慢性的な政府の予算不足と行政の不機能があることを考えると、チャーター・シティの”都市開発の自由化”という方向性は正しいと思う。


また、コリアーはアフリカ開発研究の第一人者なのを考えると、誰よりも厳しい現状を知り、目をつぶりたくなったこともあるはず。それでも、前向きに問題に立ち向かう姿は、ただただ見習いたい、と思う。


自分も、どんなに目前の問題が複雑でお手上げでも、前向きに立ち向かおう、と改めて決意。


あと、コリアーさんは身内からのスピーチの評価がいつもよくないことを自虐ネタにする、とても愉快な人でした。


留学生活も100日を切ったので、悔いのないよう、ひきつづき頑張ります。

長くなりましたが、ではでは。

2010年2月1日月曜日

ニューバイク

こんばんは。
今週もあっという間に一週間がすぎて、留学も残すところ18週間。大事に大胆に時間を使っていきたいところです。




昨日、かねがね狙っていた新しいバイクを手にいれましたー。
もともと、前学期に手に入れようと思ってたのだが、中古で探していたので、納得行くのがなかなかなかったのと、松葉杖のうんちゃらがあったので、結局友達のをかりて通してました。

チャリがいかにここで必需品かというと、、端から端まで歩くと20分+アップダウンがあるので、真逆に連続した授業の教室があると、アンオフィシャルな休み時間が10分あるものの、けっこう歩きはきついです。松葉杖だと結構ひどいことになりますw

あとは、みなの必需品だけに、盗難もそれだけ多く、Uロックをしていても、時には取れる部分をすべてとられ、


のような状態になってるのをよくみかけます。



キャンパス内でもまだ授業の間では試してないので、明日が楽しみです。
日本は雪のようで、交通は不便なのは大変だとは思いますが、雪も久しくみていないのでちょっと羨ましいです。
雪景色に温泉とか今すぐ入れたら最高だろうなー。


ではまた!