2009年2月23日月曜日

Slumdog Millionaire: フラット化する映画






Trainspotting

1996年に脚本賞でオスカーにノミネートされ、受賞は惜しくも逃したが、中学生のときに初めて見て、かっこよさに単純に魅了された作品だった。









そして

Slumdog Millionaire

今日、アカデミー賞の作品賞、監督賞その他主要部門を総なめした作品である。









残念ながら、2009年2月25日現在日本では未公開なのでトレイラーでの味見ではあるけど、非常に思うところがあったのでちょっと書いてみます。2つの映画の設定を比較すると、
 Trainspotting
 ・舞台    イギリス
 ・言語    英語
 ・主人公   若者
 ・プロット  ドラッグづけの倒錯した生活
 ・文化的背景 パンク

 Slumdog Millionaire
 ・舞台    インド
 ・言語    英語
 ・主人公   少年
 ・プロット  クイズ番組ミリオネア
        その挑戦者である主人公の過去
        ラブストーリー
 ・社会的背景 都市における貧困
となりますが、ダニーボイルはTrainspotting以降、今作まで駄作がほとんどだったわけで、ムンバイを舞台にし、インド人キャスト(とはいってもメインキャストは英語圏在住の俳優のようですが)、インド人スタッフなどで望んだ今作がこのような評価を受けたことは様々なImplicationを与えてくれる。

まずは、何よりも、 ① フラット化する映画 である。なぜなら、アカデミー賞の主要部門を席巻する映画の中身が、全編に渡り現代インドを舞台にし、ボリウッド映画の要素をもち、さらにプロットにクイズ番組ミリオネアが含まれているから。クイズ番組ミリオネアは、まさにグローバル化の象徴で、日本のみのもんたのを見たことがあるけど、確かオリジナルは英か米でライセンス販売のもと各国の主要放送局が各言語で制作を行っていて、その番組のインド版を題材にした映画がオスカーを取るということの意味は大きいと思う。というのも、近年芸術的にも高い評価を得たブラジル映画のヒット作City of Godでさえ、舞台はリオだが、話のネタ自体はリオの都市内部の貧困であり、アカデミー賞もとっていない。個人的にCity of Godの芸術面全般(Cinematographyや音楽の使い方など)はトレイラーを見た限りSlumdogより上な気がしているが。

さらに、「おくりびと」の外国語映画賞受賞と比較するとそのフラット化は一層鮮明になる。「おくりびと」は主要部門でなく、外国語部門での受賞であり、日本そのものが題材となった映画が主要部門で評価されたわけではない。一方、Slumdogは現代インドを題材にしているにもかかわらず、主要部門での評価を今回受けたことになる。もちろん、日本の邦画に相当するのは、インド国内で制作・配給されるボリウッドムービーだから、今回の欧米資本により制作され、題材のみが現代インドであるSlumdogは「おくりびと」の比較対象には適さない、という指摘もあるかと思う。しかし、考えてみてほしいのは、では逆に欧米資本で制作・配給される映画で題材が全編現代日本のものが近年あったか?ということである。答えはNOだ。今思い当たるのは、せいぜい「バベル」のなかでパラレルの筋のうち、日本のパートがあったことくらい。そう考えると、やはり、Slumdogにみるフラット化する映画というImplicationは非常に強いものに感じられる。


次に、② 日本の最大障壁=言語 である。実務に携われている方は百も承知だと思いますが、あえて書くと、上記のようにSlumdogは
 ・舞台    インド
 ・言語    英語
なんです。もちろん、インド映画界の批評家からすれば、いや普通に一鑑賞者として冷静に考えても、スラム育ちの少年がイギリスなまりの英語、主要人物が全て英語で会話しているのは、現実のインドの教育水準を考えると不自然と写るかもしれませんが、今自分の感覚からすると、意外と自然です。というのも、インド自体には行ったことがなく、現地のリアルな状況を知らず無知なことを前提にあえて書けば、お合いするインドの方は大抵ビジネスレベルで英語が使えます。実際、インド国内で連邦準標準語、州により公用語に指定されていることは英語の普及に大きく貢献しているんでしょう。ただし、発音はアジア人の訛りより遥かにひどい。マイクロファイナンスフォーラムにて、現地とテレカンファレンスでつながった際、正直訛りが相当強かったせいで何を言ってるかがわからなかった。

一方、想像がつかないのは、例えば
 ・舞台 日本
 ・言語 英語
という設定で欧米資本での制作・配給の映画を撮ろうと考えると、というかそんな映画は到底つくりえない。

この設定での映画の実現可能性の低さに、日本企業の現況が表れているのではないか。というのも、日本企業にとって、これまで日本の特異性、先進国であるのに非常に低い英語の浸透率、は海外の企業の日本市場への参入障壁になり、日本企業を守ってきた。実務において、特定分野の市場のリサーチをするにしても、日→米の言語変換作業があり業務が増えるし、それ以外にも、英語圏の他国に参入するケースと比べて、数多の付随する追加作業が発生する。その言語障壁は、今逆に、日本企業の海外進出の足かせになっていると思う。実務において、上記とは逆に米→日の言語変換作業があり追加業務が発生する。そんななか、そんな言語障壁によるギャップを埋めるように存在しているビジネスモデルは数知れない。しかも、大抵そのようなサービスを提供する企業はかなり割のいいフィーをとれる。これから、比較的体力の残る日本企業が海外進出を増やしていく際に、ビジネスのスピードをより速めたいと考えたとき、この問題は結構クリティカルな話題になるのでは、と思います。


ここまで一気に書きましたが、一応注をいれておくと、Implication①を考えるにあたり、わかりやすいのでアカデミー賞受賞を映画評価を行う際の妥当な基準と仮定しただけで、個人的にはアカデミー賞が映画のよしあしを決める絶対の基準だとは考えてません。あくまでも数あるうちの一つです。また②については、日本がこれからも現在の経済的地位を保つためには、国全体で英語の水準をより上げることが好ましい、という考えの下に書いているのですが、もちろん、英語教育偏重の弊害という論点は理解しているつもりです。ただそんなこと言ってられない状況だと思います。あと、ここで英語の水準と言っているのは、決して日常英会話とかではなく、実務的な英語運用能力のことです。まぁ多少包含関係があるとは思いますが。


とりあえず、Slumdog Milliionaire、はやく観たいです。世界公開と日本公開のタイムラグ一つとっても、上記の論点がみてとれると思います。

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